juin 2014
「解釈改憲はクーデター!」by民主党
民主党の小西ひろあき議員がBLOGOSに「解釈改憲の閣議決定は違憲・違法ゆえに無効である」という投稿をしている。投稿には「解釈改憲が、国家権力が国民の皆様の憲法をハイジャックし、民主主義と法治国家を滅ぼす空前絶後のクーデター行為であることをご理解頂きたいと願っております」とある。
となると、小西議員は自衛隊否定論者と理解すべきのだろう。自衛力の保持そのものが解釈改憲の結果だからである。
1946年6月、吉田首相が以下のように答弁している。
「自衞權に付ての御尋ねであります、戰爭抛棄に關する本案の規定は、直接には自衞權を否定はして居りませぬが、第九條第二項に於て一切の軍備と國の交戰權を認めない結果、自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄したものであります」
つまり9条2項に基づく「全面放棄説」である。
ところが1972年には当時の内閣法制局長官が
「戦力とは、広く考えますと、文字どおり、戦う力ということでございます。(略)憲法第九条第二項が保持を禁じている戦力は(略)自衛のための必要最小限度を越えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項によって禁じられてはいないということでございまして、この見解は、年来政府のとっているところでございます」と答弁している。
ここに至るまでにも、1953年に当時の外務省条約局長が「国家の自衛権を憲法は禁止しておりませんから、自衛行動はとれると思います」
と答弁するなど、9条に関する閣僚や政府委員(官僚)の答弁は数多くあり、解釈の変更はすでに行われているのである。「空前絶後」でもなんでもない。
民主党が弱小政党に転落した以上、政権を奪うことよりも出来る範囲で与党に協力しつつ自らの主張を与党の政策に反映させようと努力する方が現実的である。私が大嫌いな公明党はそのようなやり方でそこそこ上手くやっている。
しかし民主党はそもそも鳩山家の財力と小沢一郎の集票力を頼りにした選挙互助会として結成されたものに過ぎないし、いまでも民社協会から旧社会党左派まで、全く政策的統一が取れていない集団である。政策の統一ができないから、ともかく自民党との間に対立軸を設定し、コトの正否よりも勝ち負けを問題にするようなことしかできない。
こんな民主党の小西氏も所詮は「政治屋」、政局や自分の議席の方が国民の安全よりも優先らしい。
尖閣で戦死者が出た場合の合祀問題
一言で言えば「中国軍機との空中衝突、あるいは撃墜されることで自衛隊員に死者が出た場合、靖国神社に合祀するのか、すべきか否かという問題」を提起するものである。
http://blogos.com/article/88981/
多くの方が意見を寄せているが「自衛官護国神社合祀事件」判例をご存じないと思われる方が意外なほど多いのに少々驚いた。
「政教分離に反するので合祀すべきでない」というピント外れな意見(政府が合祀申請するのでもない限り、政教分離とは関係ない)もかなりあったが、「事前に本人の意思確認をしておくべき」「遺族の希望が前提」といった意見もかなり多い。
国が自衛隊員の戦死者を靖国神社に合祀する法的義務は当然ながらないが、隊友会が合祀申請を出して殉職者(戦死者)を護国神社に合祀する慣例はある。
その場合、遺族が宗教上の理由で合祀を拒否しても、隊友会が神社に合祀申請を出せば合祀されるし、法的にも問題ないというのが判例である。
この判例に則って考えれば、殉職者でさえ護国神社に合祀されるのだから、、戦死者についても合祀されると考えるのが自然である。仮に本人が合祀を望まない旨遺言していたとしても、追慕する側(上記判例で言えば隊友会あるいは護国神社)の信教の自由があるので、合祀することに法的な問題はない。
もちろん国家が靖国神社に対して合祀申請を出すことは(個人的には賛成だが)、通説的な「厳格な政教分離」の見解からすれば認められないであろう。よって、おそらくこの場合も隊友会が申請するか、あるいは一宗教法人たる靖国神社が自主的に合祀するかのどちらかになると思われる。
また、靖国神社側が戦死者の所属宗教によって合祀を拒否することも考えにくい。なぜならそれは靖国神社の存在理由を自ら否定することにつながりかねないからである。
なんらかの勇敢な行為の末に亡くなった方をどこかの神社、寺院、あるいはキリスト教会などが祭神や聖人として崇敬したとしても、それに違和感を覚える人はそれほど多くないだろう。それはそれぞれの宗教にも故人を追慕し崇敬する自由があるからである。
靖国神社や護国神社を政治的な目で見るから話が混乱するのであって、一宗教法人と考えれば合祀には全く問題ないし、靖国神社から見ればその設立趣旨に則って合祀するのが当然という結論になるであろう。