立原恭輔「自由主義者の日記」

保守の立場からの政治問題を主とするblogであったが、いつの間にか「矢島舞依」「Velka」などを中心としたロックファンblogの様相を呈しつつある。 学位は博士(専攻は非公開)。

juillet 2014

急患輸送で助かる人はごくわずか。
戦争が始まれば比較にならないほどの人々が殺し殺される。
だからオスプレイ反対。

信念のある左翼の方々には、これぐらい言ってほしいものだと思っていたが、日共の鳥取県・日南町議会議員の久代安敏が、これ以下のバカバカしい意見を開陳したらしい。

>>>通常使われてるドクターヘリの倍以上の速度と航続距離があるオスプレイだと、ドクターヘリだと何度か給油しないと飛べない離島での救急患者の搬送や災害時の救助活動に活躍できるのですが、共産党は人命よりイデオロギー優先の人命軽視の党なんですね。

というツイートに対して

>>>オスプレイで何人事故死してるか知ってるの?「人命優先さん」。

と返答し、

>>>駆動シャフトの破損事故で7人、セットリング・ウィズ・パワーで19人、整備不良と考えられるオイル漏れで4人、おそらく操縦ミスだろうと言われてるもので4人、明確な操縦ミスで2人、合計で36人。

と即答され、「噛み合わぬ議論はムダだと思う自由」と書いて逃亡。

アカだからなのか、バカだからなのか、アカでバカなのか。
日共の党本部はもう少し議員を教育するがいい。バカなアカを量産しても何にもならんだろうに。

ただ、この議員のえらいところは「まともな人間とバカなアカとでは意見がかみ合わない」という事実だけはわかっているところw


町村泰貴・北海道大学教授が「繰り返される少年加害者の写真・実名のnet拡散」と題して佐世保の女子高生猟奇殺人について投稿している。

>>>加害者だけプライバシーが保障されて被害者は何もないという批判は的外れである。
>>>それ以前に、そもそも少年犯罪に対して更生を第一と考える少年法の考え方自体が理解されず、厳罰を科すべきだという発想から、実名・写真を公にすべきでないという規定に反対する者もたくさんいるが、まあもうちょっと色々考えることがあるという他はない。
>>>少年の未熟さ、可塑性、判断力の未熟さに起因する行動で一生浮かび上がれない境遇においてしまうことの非人道性などなど。

最後はこう締めくくっている。

>>>一生ものの負い目を背負うことはやむを得ないのに、それ以上に世間から後ろ指を指されなければならないとすれば、将来の希望は微塵もなくなり、非行・犯罪を繰り返す行動に追い込まれることにもなる。そうなれば、本人のみならず、社会にとっても耐え難い損失である。
>>>そういうわけで、少年に限らない問題ではあるが、特に少年非行・犯罪について少年法61条があるし、それは社会的な損失を防止するためにも社会として守るべきものだ。

「まあもうちょっと色々考えることがあるという他はない」と仰るが、ノシをつけてお返ししたい。
少年の未熟さ、可塑性などという手垢にまみれた言葉しか出てこないのが北大教授のレベルなのか。

社会的な損失なら猟奇殺人という形ですでに発生している。
少年法に守られた犯人が更生すれば、被害者の死を補って余りあるだけの社会的効用が期待できるとでもいうのだろうか。
北大教授にとって被害者の生命とはその程度のものなのか。

町村教授から見れば私などは何も考えていないことになるのかも知れないが、もっとも望ましいのは快楽殺人者を社会から排除することだと思っている。

いま「報道ステーション」を見ていたら、佐世保の少女殺人・解剖事件について「こころぎふナントカセンター」だかの代表という人がコメントしていた。岐阜県で活動するNPOかなんかだろうか。

「一人暮らしをしていることで、関心のあることばかりを空想しているうちに、それを実行してしまうに至った」みたいなことを言っていた。この人ではなかったかもしれないが、少女の母親の死が関連しているという話もあった。

犯人であるこの少女は、小学生時代にも級友の給食に異物を混入したことがある。まだ母親は生きていたはずである。
母親の死後、父親をバットで撲殺しようとした。これは一人暮らしを始める前である。というより、一緒に住んでいたら次は殺されると思った父親が家から出したのかも知れない。

母親の死や父親の再婚はきっかけではあっただろうし、一人暮らしをする中で監視の目がなくなり一気に犯行へと走った可能性もあるが、もともと殺人や毒物への嗜好があったとしか思えない。

犯人をめぐる最近の環境や状況を取り上げて語っても、それほど意味は無い。むしろ幼少時代からの行状を詳細に調べていけば、快楽殺人者の特徴がある程度わかるかもしれない。
人間のなかには一定の割合でこういった快楽殺人者が存在するのである。

こうした者が大きな事件を起こす前に把握できたとしても、カウンセリングなどで治療できるのか、私にはわからない。

(7/28の昼休みに書いているので、その後新事実が報道されているかもしれないが、悪しからず)
佐世保市で女子高生が同級生に殺害されたうえ頭と手首を切断された事件で、読売新聞が以下の記事を掲載している。

また悲劇、長崎県「命の教育」届かず 読売新聞 7月28日(月)9時49分配信

>>>長崎県教育委員会は、命の大切さを小中学校の児童・生徒に教える「心の教育」に力を入れてきた。
>>>長崎市で2003年7月、中学1年の男子生徒が幼児を商業施設から連れ去って殺害する事件が発生し、04年6月には佐世保市でも、小学6年の女子児童が校内で同級生をカッターナイフで切りつけ、失血死させる事件が起きたためだ。(略)
>>>元小学校教諭の早稲田矩子(のりこ)・佐世保市議は「事件の教訓を生かしきれていない。友人の命を奪うところまで精神的に追い詰められていたのだろう。どこかの段階で周囲の大人が異変に気付くべきだった」と話した。

いまのところ、動機その他事件の全貌は判明していないはずである。
この早稲田矩子なる市議は何を以て、犯人が「精神的に追い詰められていた」と推測しているのだろうか。「過去の事件の教訓が生かされていない」などと「周囲の大人」に責任を転嫁するのも、青少年による重大犯罪が起きるたびに繰り返されることである。
そこでこの市議を検索してみると、案の定「社会民主党」所属である。元小学校教諭とのことなので日教組の活動家がそのまま市議になったというところであろう。

産経新聞は東京学芸大教職大学院・今井文男特命教授のコメントとして
>>>「命の大切さを教える指導も大事だが、自分の感情をコントロールするということが、まだできていないのでは」と指摘。その上で「自分が大事という個人主義の風潮が強まっているが、子供たちに自分を抑制するなど総合的な指導をしないといけない」(7月28日(月)7時55分配信)
と報道しているが、今の時点で言えるのはこの程度でしかないだろう。動機は不明だが、同級生を殺害しようとする意思をコントロールできていないことは間違いないからである。

一方、毎日新聞によれば
>>>女子生徒は過去に小動物の解剖を繰り返すなどの問題行動があったといい、女子生徒の精神状態なども調べる。( 7月28日(月)2時30分配信)
>>>逮捕された女子生徒は小学生のころ、給食に異物を混入させたことがあったという。( 7月28日(月)7時20分配信)
とのことである。
これらの記事の配信時間を見ると、毎日新聞の取材が一歩リードしているようである。毎日の報道が事実であれば、犯人が所謂サイコキラー、快楽殺人者である可能性も捨てきれない。

仮に犯人が快楽殺人者であった場合、犯行を未然に防ぐには「隔離のうえカウンセリング等の治療を行なう」ぐらいしかないと思うのだが、事前に把握するのが難しい。

小動物の解剖とはどの程度のことだったのかが記事中では不明であるが、犬や猫ならともかく、昆虫やネズミを解剖することを異常行動と断定できるか否かは難しいところである。
かつて私が見学した某高校の文化祭では生物部がニワトリやネズミにとどまらず小型のシカ類の解剖も行なっていた。これは部活動の一環でみな熱心に取り組んでいたようだが、部員の中に「人間を殺害・解剖してみたい」という異常者がいないとも言い切れない。

仮に問題行動であると判断できたとして、隔離するための法的根拠としては精神保健福祉法29条による措置入院がある(少年法関係でなにか手段があるかもしれないが、調べる時間もないのでここでは触れない)。
措置入院の定義は「都道府県知事等が、警察等からの通報等により、精神障害者又はその疑いのある者について、その指定する2名以上の指定医による診察の結果、その者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければ、自傷他害の恐れがあると認めたときに、国若しくは都道府県の設置した精神病院又は指定病院に入院させること」である。
ここにいう「通報」は一般市民から寄せられるものでも良いが、必要事項を記載した申請書によることが必要である。よほどの異常性が認められないと一般市民がこの手続きを行なうことは考えにくいし、そもそもこのような制度自体知られていないだろう。
一方、警察官については同法23条において「職務を執行するに当たり、異常な挙動その他周囲の事情から判断して、精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる者を発見したときは、直ちに、その旨を、最寄りの保健所長を経て都道府県知事に通報しなければならない」と定められているため、実際には一般市民からの通報を受けて状況を現認した警察官が本人を保護したうえで「通報」することになるのだろう。
それにしても「自傷他害のおそれがある場合」という要件は、実際にはかなりハードルが高そうに思える。暴れている現場に警察官が駆け付けたという状況でもない限りなかなか判断できそうもないし、多少の残虐性が認められるからと言って安易に実施すれば人権侵害になる恐れが高い。

太宰治の「斜陽」に、近所の子供たちが見つけてきた蛇の卵を燃やしてしまうシーンがある。子供たちはマムシの卵だと言い張ったのである。

>>>私はあの竹薮に蝮が十匹も生れては、うっかり庭にも降りられないと思ったので、「焼いちゃおう。」と言うと、子供たちはおどり上って喜び、私のあとからついて来る。

子供はこうした残虐性を多かれ少なかれ持っているものである。正常と異常との境界線を引くことは非常に難しいと思われるし、「自傷他害のおそれがある」との判断に至っては、その蓋然性が相当に高いという明確な根拠がない限り難しいだろうと私は思う。

さて、犯人と被害者との間にどのようなトラブルがあったのか(あるいはなかったのか)についてさえ明らかになっていない段階で、社民党の早稲田矩子市議は責任を「周囲の大人」に転嫁している。そのやり方はあまりにも安易であり、あたかも「全ての児童生徒は純真無垢であり、責任は『周囲の大人』にある」と言わんばかりである。

なるほど、事件によってはそういう側面もあろう。また日教組活動家としては「子供の味方」面をしたいという思惑もあろう。
しかし、いまの段階で「周囲の大人の責任論」を断定的に主張するのはあまりにも無責任である。これでは「日教組の教育は口先だけのきれいごと」と言われても仕方ないし、それを支援する社会民主党の政策も同様に「無責任なきれいごと」とされてしまう恐れがあるのではないか。
「その通りだから仕方ない」というツッコミはこの際ご容赦いただきたいが、社民党と日教組の「平和」教育や「反戦」運動が実に軽薄でご都合主義的なものであることは周知の事実である。……少しは弁護してみようかと思ったが、やっぱり「その通りだから仕方ない」。

既述の通り、佐世保では10年前にも小学6年の女子児童が学校内で同級生を殺害する事件が起きている。そのときにはなぜか犯人である女子児童よりも同級生たちの責任を追及する意見がネット上に散見された。
いわく「同級生が仲裁していれば防げた」だの「ガキ大将的な者の不在が事件の一因」などというのである。ちなみにこれらは「保守」を自称する人々の意見であった。
10年前の事件は、級友たちの目の前での喧嘩が高じて殺人に至ったのではない。もしそうだったならば級友が仲裁に入ったかも知れない。しかし実際には犯人の少女が被害者を別室に呼び出し、背後から首を切りつけて失血死させたのである。このようなおよそ予見不可能な事件の責任を級友たちに押し付ける意味がどこにあるのか、と不思議に思ったものである。

今回の事件でも全貌が明らかになる前に「心の闇」などといった手垢にまみれた言葉が使われ、ニュースショーのコメンテーターがしたり顔で「周囲の大人」や「行政」の責任を追及する言説が氾濫するのであろう。「周囲の大人」は範囲が不明確であるし、学校当局を含めた行政は正面から反論しないので叩きやすい相手なのであるが、それを生贄とすることにどれほどの意味があるのか、極めて疑問である。

航空機事故は根絶できない。
しかし、その恐れを少しでも減少させるために精密な現場検証を行ない、場合によっては実物大のモックアップまで作って発生当時の状況を再現し、再発防止に向けたあらゆる努力をするのである。

ところが、こんな話を見つけた。しかも2つである。
一つはMAS17便の墜落は「なかった」というものである。撮影された遺体は「クライシス・アクター」なる役者が演じているのだという。

もう一つは、以前インド洋方面で行方不明になったMAS370便が、今回の撃墜事故に「利用」されていたというものである。プーチンを失脚させるための、アメリカとイスラエルの陰謀なのだとか。乗客はあらかじめ殺害されており、撃墜事故に見せかけたのだという。

両方とも異常としか言いようがない。こんな異常な説を信じる方も異常である。

親露派どころかロシア軍が撃墜したという証拠がそろったとしても、プーチンは失脚などしないだろう。ロシアは一応共和制国家の範疇に入るとはいえ、民主主義国家ではない。誤解を恐れずに言えば、数百人死んだぐらいでは非民主的国家の元首は大した影響を受けないのだ。
逆にアメリカとイスラエルが陰謀のために数百人を殺害したとなれば、政権が吹き飛ぶのは火を見るより明らかである。

JAL123便のときも、自衛隊が撃墜した、いや米軍だ、という異常者が現れた。たしか本まで出版されていたはずである。

どうせまともに相手にされないからどうでもいいといえばどうでもいいのだが、ネットの発達でこうした言説が容易に広められるようになったのは困ったことである。

事故根絶に努力する人々に対する侮辱だと私は思う。

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