立原恭輔「自由主義者の日記」

保守の立場からの政治問題を主とするblogであったが、いつの間にか「矢島舞依」「Velka」などを中心としたロックファンblogの様相を呈しつつある。 学位は博士(専攻は非公開)。

avril 2015

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昭和節という名称ではないが、敢えて。

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(仏訳が正しいかどうか、自信はないが……。)

ネパールの地震について、
ネット上に韓国人がいろいろな意見を書き込み、議論している。

「日本はもうネパールに救助隊を送ったぞ!」
「ぐずぐずしているヒマはない!」
「日本には負けたくない!」

韓国人はいつも日本と競争している。
なぜなんだろう?
なぜ彼らが自分の母国と日本を比べるのかわからない。
ネパール支援は試合じゃない。
ネパール支援は競争じゃない。
我々には彼らのすることが全く理解できない。

日本はただネパールを助けたいだけ。
韓国はどうなんだ?

Il y a beaucoup de opinions de Coréens sur Internet.
Ils discutent sur le tremblement de terre de Népal.

«Japon a déjà envoyé les sauveteurs au Népal!»
«Nous avons peu de temps à perdre!»
«Je ne veux pas perdre ce match avec Japon! »

Coréens concourent toujours avec Japon.
Pourquoi?
Nous ne savons pas pourquoi Coréens comparent leurs pays avec Japon.
L’ aide pour Népal ne est pas le match.
L’ aide pour Népal ne est pas le concour.
Nous ne comprenons rien à leurs conduites.

Japon veut sauver Népal, c'est tout.
Et Corée?


成田を出発する日本の医療チーム Les sauveteurs de Japon
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とある学校の必読図書。
大暴れする藤村を想像すると、じわじわとおかしくなってくる。

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先日、東京ドームに行ってきた。
Paul McCartney、72歳。元気なじいさんである。The Beatlesはもちろんだが、Wings時代も好き。

涙腺を刺激されたのはGeorge Harrisonの名曲、Somethingであった。
ウクレレの弾き語りで、軽妙とも言える感じで歌い始めるのだが、ギターソロの前で突然厚いバンドサウンドになるアレンジ。

バンドと言えば、ポールさん自身がちゃんと「バンドの一員」になっているのも素晴らしい。あのぐらいの歳になると、演奏はバックに任せ自分のギターは殆ど音が出ていないということでもおかしくないのだが、アコースティックギターであってもちゃんと音が出ていてリズムギターとして機能していた。

サポートギタリストは一体何本のギターを使い分けていただろう。気が付くと持ち替えているので驚いた。ポール自身もエレクトリックはレス・ポール、アコースティックも多分3本ぐらい使っていた。
ベースはKarl Höfner。Rickenbacker 4001Sを弾く雄姿を見たいところだが、あれは重くて体力的に厳しいだろう。リッケンバッカーを立って2時間弾き続ける体力は、私にはない。

ドームの音響はあまりよくない。アンコールの最後の曲は"The End"で、2人のサポートギタリストとポールがギターバトルを展開したが、残念ながらフレーズが殆ど聞き取れなかった。

写真はトレードマークのKarl Höfnerを弾くポールじいさんと、巨大な日章旗を振るポールじいさんである。

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「俳優の三條美紀さん死去 『犬神家の一族』などに出演」 朝日新聞デジタル 4月18日(土)13時8分配信

私はこの方を存じ上げなかったのであるが、ふと違和感を覚えた。美紀という名前だが「俳優」となっているので男性なのだろうか。
ちょっと調べてみると女性である。記事本文には
「三條美紀さん(さんじょう・みき、本名佐藤幹子〈さとう・みきこ〉=俳優)」
長女は元俳優の紀比呂子さん
という記述もある。
朝日新聞は「女優」を使用禁止にしたのだろうか。性別で呼び名を変えるのは「ジェンダーフリー」に反するということなのか。

ちなみに、時事通信の見出しは「女優の三條美紀さん死去」、読売新聞も記事で「映画やテレビで活躍した女優の三條美紀さんが9日、うっ血性心不全のため亡くなったとしている。

かつて女性は看護婦、男性は看護士であったが、いまは看護師に統一されている。
スチュワーデス(男性はスチュワード)がキャビンアテンダントと呼ばれるようになって久しい。
議長のことを英語で chairman チェアマンというが、manは男性を指すということで最近は chairperson ということも多い。
一方、役者については、男性は俳優、女性は女優と呼ぶのが一般的だと思う。

単語の「性別」を言葉狩り的になくそうとしているのは英語圏、ことに米国を中心に広まった考え方ではないだろうか。
フランスは男女同権の動きが急な国のひとつだと思うが、フランス語はほぼすべての名詞に性別があるし、職業も男女で呼び方が違う。さらに形容詞なども名詞の性別に応じて変化する。もし単語の性別をなくそうとしたら、フランス語は大変革を迫られる。
また「教授」や「医師」には男性形しかない。かつてそれらの職業には男性しか就けなかったからだ(最近はそれらの単語に女性形を作る動きもあることはある)。

そもそも「男女同権」と「男女同一視」は違うものであるし、名称を統一したから差別その他の問題が解決するわけでもない。単語に性別があるとの理由でフランスの男女同権が遅れているとは言えない。

「看護師」にせよ「キャビンアテンダント」にせよ、これによって男女同権が進むとも思えないし、大した意味のある変更ではない。
もし朝日新聞が「女優」を禁止したのなら、馬鹿なことをしたものだと思わざるを得ない。

※「ローマの休日」の画像を貼ったのは「女優」という言葉からの連想である。

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