立原恭輔「自由主義者の日記」

保守の立場からの政治問題を主とするblogであったが、いつの間にか「矢島舞依」「Velka」などを中心としたロックファンblogの様相を呈しつつある。 学位は博士(専攻は非公開)。

novembre 2015

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Jリーグにはほとんど興味がないが、浦和レッズはこれまでにもファンがいろいろと問題を起こしており、嫌いなチームである。
今回は添付画像の通り、相手チームの選手に悪質なツイートをした。こんなファンがいてレッズもさぞ迷惑していることだろう。

ところで、今回問題になったのはやはり「黒人」という部分なのだろうが、黒人を黒人と呼ぶこと自体は問題ないはずである。例えばオバマ大統領は「黒人初の米国大統領」と言われている。そうすると「死ね」だけでも暴言なのに、そこに「黒人」が追加されることで「人種に対する嫌悪の表現」と見做されてしまうということだろう。

当該の選手はブラジル人だそうだが「ブラジル人死ねよ」だったらどうだろう。もちろんこれでも暴言であり非難されて当然であるが、これを「差別問題」として取り上げるとした場合、「人種」差別と言えるかどうかは微妙である。「外国人一般に対する」差別ということになろうか。特定の国籍の選手を狙い撃ちにして暴言を浴びせているなら、これは国籍による差別である。

論理的に言えば、今回の発言者がレッズのブラジル人選手を高く評価している一方、他チームに対して「ブラジル人死ね」と国籍をつけて発言していたとしたら、これを「ブラジル人」に対する差別と認定するのは正しくない。ブラジル人一般を排斥しているのではなく、敵チームのブラジル人を敵チームであるがゆえに罵っているだけであるから、本来は「差別」ですらないと思う。

しかし、黒人であろうと白人であろうと罵るときに肌の色に触れてしまえばもうダメである。オバマ大統領の例のように黒人であるという事実だけを述べるのなら問題はない。しかし悪意ある発言に肌の色を絡ませたら、発言者の意図に関わらず問題は「差別」のフィールドに入る。これは論理的な問題ではなく、むしろ政治的な問題である。

それにしても、こういう問題が起きるのはサッカーばかりのように思う。他のスポーツではあまり聞いたことがない。かつては野球でもいろいろあったが、怒った観客がグラウンドになだれ込むような騒ぎはもう見られない。国民一般のマナーが向上したためだと思うのだが、サッカーファンは別ということか。

こういう阿呆がひとりいるだけで、競技全体・ファン全体が白い目で見られることになりかねない。馬鹿げた話である。

※カテゴリは「サッカー」にしていたのだが、「差別」判断は政治的なものなので「政治」に変更した。

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戦後、神道関連・皇室関連の祝祭日を何とかして残そうとした先人の努力には頭が下がる。 明治節も「文化の日」として生き残っている。

新嘗祭を「勤労に感謝する」としたのも、なぜこの日が勤労感謝の日なのかという説明を通して新嘗祭の意義を伝えようという深謀遠慮があったのではないかと私は思っている。 

こういう努力を無にしてはいけない。 

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画像はネットからの拾い物

2点のビハインドで迎えたインジュアリータイム、慶応のオフサイドでペナルティキックを得た早稲田が最後の瞬間での逆転勝ち。手に汗握る展開であった。

はじめのうちは早稲田が強いと見たが、慶応の追い上げ~逆転に、これは勝てそうもないと思った。
しかし、プレイが切れたらノーサイドという追い詰められた場面で見せた早稲田の連続攻撃。慶応の反則も「たまらず」というところであったろう。

緊張感の持続する、良い試合であった。慶応は強かったと思う。



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私はパリの事件について哀悼の意を示しているが、それはパレスチナの犠牲者はどうでもよいということではない。もちろんイスラエルの犠牲者もである。

ソマリアでもマリでも、テロや内戦の被害は続いている。
中南米では麻薬組織による大量殺人が繰り返し行われている。
ミャンマーでは少数民族が迫害され、逃亡先で殺害されるなど困窮を極めている。
中国でも少数民族が弾圧されているが、わが国の「平和」運動家や「人権」活動家は何も言わない。
正直なところ、戦争や内戦、迫害、大量殺人のすべてに関心を持つことは難しいけれども、だからパリの事件にショックを受けないというわけにもいかない。

「パリの被害者ばかりを重視している」と批判する者の中には、それが人種差別的発想……つまり欧米人の死は悲惨だが中東やアフリカではそうでない……に基づくとする意見もあるようだが、私はそうは思わない。

戦争や内戦が行われているところでの死に対して、我々が「慣れてしまっている」あるいは「仕方のないこととして捉えてしまう」ということはあるかも知れない。

2001年のアメリカ、2005年のロンドン、そしてパリにおけるテロが「安全であると思われたところが突然攻撃された」という意味で衝撃的だったことは間違いない。これが正規戦とテロとの大きな違いでもある。

※カテゴリは「哲学」とした。政治論やイデオロギーからは離れた問題と認識したいからである。

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Tricolore et Hinomaru avec le Mont Fuji.

フランス大使館のFace Bookに「戦争をするな」「武力でテロは防げない」などと書き込んでいる人々がいる。

いまはただ死を悼むべきではないのか。

素人の政治的主張は、あとでいくらでもするがいい。

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