平成最後の日に御朱印を授かりたいという家内を車に乗せて、靖国神社と東京大神宮に行ってきた。
考えることはみな同じらしく、東京大神宮はそうでもなかったが、靖国神社では1時間近くも並ばなければならなかった。
悠仁親王殿下の学ばれる教室に刃物を持ち込んだ男が逮捕されたが、あと2時間ほど、何ごともなく「令和」の時代を迎え寿ぐことを祈るばかりである。
2016年7月14日の本blogで以下のように書いた。
>>> 譲位が何らかの圧力によって強要されたり、恣意的に行なわれたりしてはならない。
>>>現在の我が国ではあまり考えられないこととは思うが、制度化するにあたっては考慮が必要である。
>>>他国では王族内部で地位をめぐると思われる争いが発生したことがあるし(ネパールなど)、我が国でも古くは大名家における「お家騒動」が何度も起きている。
皇室と姻戚関係にある者が、自分の血を引くものを天皇にしたいと考えることもあり得る。例えば「天皇の祖父」になったとしても平安時代の藤原氏のように政治的な実権が伴うことはなかろうが、その立場を利用して有形無形の利益を受けることは可能だろう。
また、これもどこかで書いたのだが、譲位を制度化してしまうと、天皇が譲位し、継承者が即位を拒否した場合、そこで皇統は絶えてしまう。即位を拒否する制度はないが、現に秋篠宮殿下は、老齢になってからの即位はできないと表明されたという。その場合、継承順位第3位の悠仁親王が秋篠宮殿下を飛び越して即位する法制度を整えなければならない。
こうした混乱は天皇制*の廃絶や"自然消滅"を狙う共産党をはじめとする左翼勢力が期待しているところである。
明治政府が皇室典範第十條に「天皇崩スルトキハ皇嗣卽チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承がク」、即ち天皇崩御の際にのみ御代替わりするとしたのは、権威の二重化や上皇と天皇との争いなどを避けるためだったそうだが、上述のような事情による皇統断絶や混乱を防ぐ意味もあっただろう。
報道で耳にする、譲位を決断された今上陛下のお心は、国民の安寧を祈るお気持ちで満たされており、ありがたいと思うほかないのだが、譲位が(一代限りの特例法とはいえ)認められたことから起こる様々な問題については、後顧の憂いがないよう、よくよく考えておく必要がある。これは政治・立法の責任である。
*大日本帝国憲法制定以後、天皇・皇室の存在は法制度の一部であり、「天皇制」という呼称を忌み嫌う理由はない。一方、それ以前の皇室・皇統についても広い意味では法制度と言えると思うが、近代法制度とは違うものなので、敢て「天皇制」と呼ぶ必要はないと私は思う。